いのち を話す①
“いのち” について話す会が先週の日曜日に鎌倉の教会で行われました。
パネラーは神父さん、お坊さん、医者の3者で、命題も、パネラーの選択も、なかなか面白いと思い、行ってきました。
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最近、、虐待やら孤独死などのニュースが多い気がします。何かが大きく変わってしまっている事は皆が感じている事でしょう。そんな中でのディスカッションに興味が湧きました。
それぞれの方が、取り組みをされている事を知りました。
神父さんは世界の貧困層の住む場所を訪問し、医学的な支援の手伝いを、NPOを通じて行っています。
世の中の13億人は1日1ドル以下の生活をしている事実を知り愕然としました。病気になっても病院に行く事ももちろん出来ないですし、1日の食事も得る事が出来ない日も、日常的にあるわけです。
裕福な日本では、別の事が問題になっています。
最近胸が痛くなるようなニュースを多く見るような気がします。水面下ではもっと色々な事が起こっているのでしょうから、現実はさらに悲惨な状況であることが推測されます。
また、こんな話もしていました。課外授業で児童を連れて山に行った時のこと、女の子がカナブンを見つけ、“虫がいる”と言ったそうです。その瞬間に男の子がカナブンを潰しました。なぜそんな事をしたのかと聞いてみると、家では親がそうしているから、と答えたそうです。
お坊さんは”寺小屋”計画を始めていらっつしゃいました。集団での生活を通じて社会の在り方と、人への接し方を学びます。核家族化の影響でしょうか、孤立する個人が多くなり、社会としての繋がりを保てなくなっています。
個人が、ほんとうに個人になってしまい、社会としてのバランスが保てなくなっている気がします。
自分の存在価値を感じられる場所が少なくなっているのでしょう。
想像していたディスカッションとは、ちょっと違う方向に話は進んで行ってましたが、改めて考えさせられました。